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「不恰好なもの」にたいへん興味があります。
顔や服装や体つきの格好がよくないということではなく、そこに存在している
人間の置かれている状況、又はそこに存在している人間がこの先選んでしまう
であろう状況、そういったところの「不恰好さ」に、どうしてもひかれてしまうのです。
「不恰好」であることを全く認識できないでいる。
これはもう救いようがありませんが、自分の「不恰好さ」を知りながら、それを
何とか打開しようと試みるも更なる深みにハマってゆく。そしてその不甲斐ない
自分にある種の「諦め=諦念」が混じり始めた時、そこに存在している人間の、
最も人間的かつ根源的な衝動が呼び起こされるのです。
ヒンドゥー五千回はそういった「不恰好な人間たち」を真っ正面から描いています。
「諦念」を体現する俳優、ムダなものを極力排除した舞台美術、本当に必要なもの
だけに焦点を絞る演出を武器に、演劇界を強(したた)かに席巻してやろうと
目論んでいます。
皆様がどの時点からヒンドゥー五千回を注視し始めるのか、それは我々にとっても
勿論ですが、皆様にとっても「勝負」なのではないかと、そう思うのです。
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